夢チカ番組記。


*2回出演されてます。クリックすると直接行けます。

その1  その2



1.2002.1/11〜「35STONES」

音楽との出会い

小学3年の時、姉の影響でピアノを始め、
小学4年〜6年の時に吹奏楽部でトランペットを吹く。
ギターとの出会いは小学6年の時に母親からプレゼントされたアコースティックギターがきっかけ。
中学はフュージョン、高校の時にはハードロックに明け暮れる。
18歳の頃、就職試験(頭がそんなに良くなかったそう)に落ちたことが
きっかけで大学の推薦入学になんとか滑り込む。
大学の先輩がブルースをやっており、その影響でブルースに嵌り、ラグタイムブルースが好きになる。
20歳の時から曲に詞をつけて歌うようになり、この頃、
「ギターを持っているのでギタリストになりたい」、「バンドでデビューしたい」
との気持ちがあったけれど結局は
「どっちでもいいや」そう。
大学中退後は音楽一色の生活。周囲の仲間は帰郷したり、他業種への転業組が出てきたが、斉藤さん本人は
「予防線(他に仕事をする)は張りたくない。自分は絶対に音楽で仕事をする、そしてデビューできるんだ」
デビューのきっかけは姉の「テレビの番組を利用しなきゃ駄目よ」その一言。
テレビ番組に出演したのをきっかけで25歳の時に事務所が決まる。


音楽論

「音楽とは“仕事”。“仕事”=“手に職”。」
お仕事、だったら事務的なイメージがある。
最近、仕事が好き。

曲は作ろうと思ってできるものではなく、たとえるならばラジオのチューニング。
周波数とピタリと合った時と同じ。その合った時にエクスタシーを感じる。
言葉がのっているか?エネルギーが入っているか?納得できればOK。


北海道論

海を隔てているので独特の文化。東京はいろんなところから人が集まっているので独自文化はないと思う。
そういう意味では外国と同じ。
「何故ススキノは普通の子が朝3時4時に歩いているんだ!」


*見終わって。


いやー、かなり素朴だ。素朴すぎる。
確かに、仕事=手に職か。
いい言葉だ。
そんなふうに感じた。見習いたいっす。




2.2004.4/25〜「青春ブルース」
<曲:アゲハ〜劇的な瞬間〜ロケット〜やわらかな日〜歌うたいのバラッド〜ぼくらのルール>



活動を振り返って…


基本はそんなに変わっていない。最初は弾き語りだった。そういうスタンスだし、
ベーシックはそれ(弾き語り)があると思っている。
表面上はアレンジで色々実験している。ギター1本でやりたいのは昔から変わらない。


(--リスナーの存在を変わらず大事にしている?)
男性ファンがここ何年かに徐々に増えていて、女子6:男子4。この比率が
逆転して欲しくない。
(--もてたいのは変わらない?)
変わらない。(笑)

最近…


去年から水泳、散歩をやっている。ずんずんいく。
(--何かきっかけが?)
病気したりして情けないと思ったから。煙草をやめたり身体を動かそうとしたり。
散歩に行ったりすると今まで車を使っていたのがA地点→B地点に行くのに自分の足で
行くことに感動して。2、3駅くらいなら歩く。

ライジングサンロック…


療養明けの一発目がライジングサンロック。でかいイベントでの弾き語りは
初めてで歌えるかどうか不安に。でもお客さんが温かく出迎えてくれた。
嬉しかった。また(ライブを)やれると思った。

Newアルバム青春ブルース


(--タイトルはいつ?)
レコーディング中に決まる。曲が半分くらい出来た時点で。
今回は青春してるぞという感じがあった。
(--ご自分の青春時代を思い出した?)
思い出した。でも今でも青春。「青春」という定義が難しい。
いつからいつまでが青春っていう。だから(中略)子供が生まれるまで、
って決めた。そう思いませんか?

夢…


何年かに1度でいいから日本武道館でライブをやりたい。
(--武道館は格別?)
はい。またやりたいと思った。


*見終わって。


その前にラジオで聞いた中味が大半だったのでした。
でも「青春の定義」のくだりが流石、和義さんだなと思ったり、でも確かにわかるわーと
思ったりも。そのあとのそれに対する答えの
「取材で必ず聞かれるから。」には笑った。。。







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