視聴記。そして音楽が始まる。





「切ない青春の風景が…」

このひとことで始まるオープニング。
はじめは02年に発売されたDVD「純情」よりお地蔵さんバンドに
よって演奏される「初恋」。
村下さんとずっとプロデュースしてきた須藤晃さんのインタビュー。





「僕は村下さんと格好悪いものを目指したんす。今さら言う必要のないようなことを
歌にしたんですね。だからみんなの心にあって、皆がそれをあえて言わないような
ことを歌にしたんですよ。だと思います。」





広島で20代にピアノの調律師の仕事をしながら曲づくりをしていた
27歳の頃に転機。遅咲きのデビューだったけれど上京せずに
広島に残って曲作りをすることに。




村下さんのラジオより。

―「僕の仕事はピアノの調律をやってます。毎日、ピアノと向かい合って240本、」
(ピアノの弦を)ピンポンピンポン叩いて音を合わせるんだけど、最初は格好いい、と
思って始めたんだけれど、毎日毎日やっていると本当に神経が参るんですよね。
だけど、辛い事ばかりじゃないですよね。いいこともありますよ。楽しいお客さんが
いてね、色んな家庭もあるしいいろんな人生があると思います。僕にとっても勉強です。」―


ちなみにバックで流れているのはピアノの調律の音でした。





「やっぱりレコード出す人ってどこか人と違う感じがあるじゃないですか。華やかだったり。
でもそういうのが全くなくて、年も自分と同じだったし地味な感じの人で。
ただギターがものすごく上手かったんですよ。ギターがうまいのと声がすごくよくて。
一目見ていいなーと思ったんですよ。」
(須藤P)


「春雨」、「ゆうこ」と組んで、「初恋」は5曲目の作品。


「世の中の少年少女がだんだん風紀的に乱れていくし、人と人との心の繋がりがどんどん
なくなっていく方向だったので庭のある一軒家の人が高層マンションに住みだしてますから、
村下さんに「初恋」というタイトルで曲を作りたいんだけど、と僕が提案したんですよ。
僕と村下さんにある「初恋」の想い出を散りばめながら、しかも世の中の人がそれを聞いて
切なくなるような感じの曲を作ろうよ、と言って作り始めたのです。」
(須藤P)

須藤Pと村下さんがイメージを語り合いながらメロディーが生まれる。でもそれは
最初のものと違っていたそうです。





水谷公男さん(当時は水谷竜緒):編曲。

「最初に村下さんからもらったテープのテンポがゆったりしてたので
それをアップテンポに書き換えた。」


ありきたりのフォークにしたくない。そういう思いでのこと。
確かに演奏を聞いてみると本当に物凄いゆったりとした70年代の
フォーク調でした。。


「いわゆるポップミュージックですよね、いわゆる洋楽っぽい4畳半フォーク
ではなく、どちらかという踊れるようなサウンドになってきましたね。この初恋を
アコギでバラードでやっていても身体を動かして演奏している村下君をちょっと想像できた。」


どのような表現ですれば伝わるか?作詞は難航。

「そのメロディから喚起されらるもの、初恋のタイトルから呼び起こされるものをどのように
書き足していったらいいのか、メロディにあわせなければならないのでそういう面倒くさい作業
ですが、バラバラに書いたものを集約していった。」

(須藤P)

初恋のサビ「好きだよといえずに〜」は最後にできたそう。

「初恋の相手にうまく告白できないという心理がある。言いたいのだけれど
言い出せない。片思いでいることが切ない。そういうことに僕と村下さんは
たどり着いたんですよ。」
(須藤P)


レコーディング途中のテープも全て取ってある須藤P。
「僕と村下さんとの格闘のあとこれが最終的にたどり着いてるかどうか…」



私はそのとき
「それ(残された音源)もっと出してょ!」
と思いましたょ。。


東京でのレコーディングが終わった時に電話した相手は広島で
ラジオのDJをいっしょにやっていた西田篤史さん。

初恋を一番最初に聞いたのが電話で、
「ホテルの部屋で夜中の1、2時でも平気で僕の部屋に電話して、
『あっちゃーん、今レコーディング済んだよ』と
いう話をして、ああそう、といったら延々と曲紹介しながら歌った。」


そんなエピソード。




ジャケットの由来。

須藤Pがたまたま打合せで入った喫茶店で
村上保さんの個展のフライヤーがおいてあって
その絵をみてこれだ!と思ってそれをすぐにもらって
村上さんに会いに行ったそうです。



村上保さん。(実は彫刻家。←知らなかった。)

初恋の原画を額装して1枚残っている。

「曲を聴いて村下さんの甘酸っぱい思いでみたいな曲ですよね。でも
ストレートに絵にすると絵にならないと思った。それよりは女の子に置き換えて
深みを増すと思った。女の子が恋をしている、ということですね。」

初めて明かしたそう。

(しかも後ろの絵は右:「同窓会」左:「歌人〜ソングコレクション」のやつだ。。)




熊本県水俣市。
村下さんの幼少の頃の住まい。そして
貴重な中学生時代に手作りした木のギターを
持っている写真。(かなり貴重。)



中学2年の頃に初恋。
テニス部の女の子で、当時村下さんの取った作戦は
サッカーボールをテニスコートに蹴りいれる、
そういうことでした。
わ、私も同じ立場ならそれくらいしか、いや、
それすらも出来ないかも。。(´-T)


「誰もが初恋の経験はありますよね?だいたい中学の時の半ばくらいから本当に
心臓が痛くなるような想い、結婚したいなーその人と、とかそんなように思い出したのは
中学校なんですよ、もしかしてそれが初恋なのかなーと思うのです。」





1999年の6月20日に毎年恒例の七夕コンサートのリハーサルの時に
倒れたのです。。


長いことお地蔵さんバンドで一緒にやってきた経田康さん(ギタリスト)は、
そのときに一緒に居合わせたそうで、


「いつもと同じようにスタジオに入ってきて、ジャンバーを着ていて
「よぅ!」と言っていて僕の右側にいたのですが、様子がおかしかった。
ミュージシャンも皆気づいてましたね。」
(経田)

そのリハーサルの4日後に亡くなりました。


「彼自身今もきっとどこかで初恋を歌っていると思うんです。。」(経田)



「でも、本人は最後は格好つけたというか決まったというか。
だってレコーディングが終わってリハーサル中に倒れたんですよね。
不謹慎な言い方かも知れないけれど、僕もそのようにして命がなくなるほうがいい。」

(須藤P)


「皆さん忘れてますよね。なんか。村下さんの曲の日本というか、
あの時代の子供達の笑い声、お父さんお母さん、恋愛している時の気持
忘れてるでしょう。村下さんが空の上で怒っている。もう一回村下さんのいう言葉
などを皆さん思い出して欲しいと思います。」
(西田)




1983のライブより。

「新曲が出まして、題名が『初恋』といいます。
『初恋』、いいでしょう。ねぇ。今年は初心に戻ってやり直そうと
いう気持で。今まで僕の歌はカラオケで歌っても難しい難しい、と言われていて
それで今度は皆が口ずさめて覚えやすいような曲にしようと思って書いた曲です。
今年はこの『初恋』が皆様にお世話になります。それでは、
『初恋』聴いてください。」







30分間というあっという間の時間でしたが、
いつも見るよりも中味がつまっていて
嗚呼、こうだったんだなーと改めて感じさせる事も
ありましたね。。例えば初恋のエピソードだったりとか
最後に出てきた村下さんの宝物のモズライトのギター
(ベンチャーズの直筆サイン入り)だったり。




だけどこの放送が本当に伝えたかった事は西田さんの一言
つきると思うんですね。
今は日本語の歌というのがそしてゆっくりしたリズム、わかりやすい
音楽が流行しつつありますが、まさに村下さんの歌がそのものだと。
今、もし村下さんが生きていらしゃったら。
きっと物凄くみんなに受け入れられていたのでは。
そんなふうに思います。




*一部敬称略の部分あり。お許しください。





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