「春ですネ」

我が住む町もいよいよ自宅前の公園の雪ももう残り少なくなり、
お隣りの市でも土筆を見つけたりと嗚呼。

「春ですネ。」

そんなこんなで書いているのですが「春」というとどんな
イメージでしょ、実際。
桜?(高校の修学旅行で行った京都の桜は今でも鮮やかに
残っておりますが。)なんというか、桜って咲いているときも
美しいけれども、散るときも何故か切なくてそれもまたよさを
かもし出しているというところもあります。歌だったら、
「桜」(斉藤和義「FIRE DOG」7曲目)とか、直接では
ないけれど「花ざかりの森」(村下孝蔵「花ざかり」10曲目)
も情緒あふれていい曲だ。そうそう話が脱線してしまいました。
こっちでは桜はまだ咲いていません。予報では5月の頭くらい
とのことなので、咲いた桜を見ながら移ろい行く季節を
感じたいと思います。(文章まとまってない。)

追記:今日の朝の番組で井上陽水さんなどここのところ、
リバイバルブームだそうで、癒し系の曲がまた復活している
そうな。村下さんの曲もものすごい癒し系(と、思っている。)
だから、また復活してほしいなぁ。本人いないけれど。(泣)




ハンズディにて。

 今年もまたやってきた年に1度のハンズディ。それは
手ごろな価格で物を作るという3日間で、七味唐辛子やスツール、
無料モノでバルーンアートもあったりでなかなか面白いんですが、
私の目的はなんといっても、

アートクレイシルバーリング。

これが人気講座で1回の人数も少なく、特に日曜日は整理券を
求めるのに1時間以上も並ばなければならない大変なものです。
今年はパソコン教室の帰りにいけるので20日に行ってきました。
午後1時30分の回でした。空き席に座って待っていると、まだ
募集してました。いやぁさすが。

ビバ平日。

 …わざわざパソ教室に遅刻してまでも整理券をもらいに行く自分って(泣)
 1時半にスタートして、おばさん1人、中年1人、男子1人
フツーのおねーちゃん4人、私の計8名でした。
通りいっぺんの説明が終わって作業開始。経験者は私1人(だって、
通算4回目。)で、一足先に粘土を巻き終え、乾かしの作業に入り
ました。

 ここで作業手順。

1.銀粘土をよく練る。もし、練っている途中でひびが入ったら、
 水をつけて練る。但し、つけすぎないように。(べちゃべちゃ
 になってしまう)
2.整形をする。(木の棒にあらかじめ作りたいサイズに合わせ付箋を
 巻きつけておく)ひび割れぬよう、水をつけながら。
3.乾かす。乾いたらウェットティッシュで指紋や小さい傷をふき
 取っておく。
4.更に乾かし、800度くらいの温度で30分ほど焼く。
5.少しさまし、ステンレスブラシでこする。すると銀の面が
 出てきます。ここでやめればつやなしになる。つやをだしたい
 のなら、さらに磨き棒でみがく。
6.いぶしたいときは六−一〇ハップのような液体につけ、磨く。


ウェットで拭き、一足先に釜に入れ、そして、

♪で〜きあが〜り〜 


焼き上がりのときでした。実演のおにーちゃんがサイズを
見ていると、
実「サイズ何号でした?」
私「6号(小指にするつもり)です。」

実「サイズ大きいですよ。」

私「…」
 おにーちゃんの話では8号になっており、おそらく巻きのときに
隙間ができたのでは、とのこと。私もウェットの作業のときに内側
磨きすぎたかも。他の指では関節の関係で14号以上になり、サイズ
の調整も難しいので結局、内側に油性ペーストを塗り、再度乾燥して
焼き直しになりました。…結局また作業が遅れちゃった。
えーん。今年こそはきちんと磨けると思ってたのに。
 いつもの年だとそこまでやってくれないけど、今年はやさしい
実演のお兄さんのおかげで過去最高のできになりました。
有難う、実演のお兄さん。(平日ってこともあるか。)
 でも、ハンズディに一言。

今年って、講座少なくないか?

だって例年はもっと講座あったはずなのに…。




スターバックスコーヒー記


いよいよ我が地域にスターバックスコーヒー がやってきました。
私はちなみに2年前に上京したときに
スターバックスコーヒー(以下スタバ)を羽田空港のお店で
飲んだのですが、そのときは

「なんて冷たいの?店員。」

と思ったんです。でも、今になればわかるような気がする。
状況が理解できれば…。
オープン当日はPC教室の日だったので終わってから行くと、
やはり皆様期待していたようで長蛇の列。私のときは
外で20分、やっとなかに入ることができてブツを得るまで
10分近く。計30分かかりました。

ちなみに頼んだものはアイススターバックスラテ(アイスラテ)
のショートでした。そのままでも旨かった。うん。
裏メニューもあるみたいですが、流石にこの状況では
頼めるわけもなく、タンブラー(地域限定)とサンドウィッチ
を購入して店を後に。そうしたら外の行列が

スタバの入っているビルの入り口付近まで列を なしてました。(おそらく1時間待ちくらい)

 …恐るべし。スタバ。




1ヶ月を振り返る。


退職してからもう1ヶ月か。そう思うとあっという間。
今までのことを振り返ってみようと思ってこのコラムです。
まずは、こんなにお金がかかるものとは思ってなかった。
仕事をしている間は給料から引かれていたから実感なんて
ありません。でも、実際は国民年金も自分で払わなければならないし、
国民健康保険も、生命保険も…と、けっこうかかるものだな。
あとは今後の自分の身の振り方などもありました。でも、結局今は
充電期間としてすごすことを決めました。
よくよく考えてみると。4年間は長かった。お勤めしてきて
最後の1年が一番辛かった。合わない上司、最低の後輩…。
よく我慢してきたな。収入がないのは辛い。失業保険も8月からと
条件はいろいろあるけれど、そんなことは言ってられない。前へ進もう。

先月中旬には定期も切れて、交通手段はプリペイドカードに
なった私に変化があったことは、金券ショップに行くとその
カードが出ていないかを探す癖がついた。少しの金額だけど
安く手に入るのは有難いことです。ただ、人気があるので
入手難だけど。出ていたら即、買いです。あるうちに買わないと。
いつ手に入るかわかんないから。

充電期間、といってももしかして条件に合う仕事もあるかも
知れないし、(自宅なので親の目もあるし)とりあえず、職安
(ハローワーク)には通ってます。
 そこに行くにはいつもバスと電車で行くのですが、
交通費を浮かすためもかねて、歩いて帰ることにしました。
ふと見ると桜の花が満開近くまで咲いており、見上げる空も
きれいな青。周りの景色も見慣れない景色もすべて違うもの。
生活感のあふれる町の中に触れているうちに活気、「生きている」
そんな気持ちになっていく。今までのへこんでいた日々だったけれど、
エネルギーをもらったような気がする。これからもやっていける、
そう思ったある日だった。




コンビニ道


 最近首都圏のコンビニで新形式のお店が出てきているとあり
見ているとセブンイレブンでは長距離バスの車券をオンラインで発売
開始するそうで何より、ローソンは無農薬野菜の販売や玄米おにぎり、
さらには生ジュース(好きなのを選び、その場でジュースを作ってくれる)
も発売するそうで好評ならば順次拡大していくとのこと。これはいいな、と
思います。これだったら消費者の食いつきもあるだろうと。こういう形式は
全国に広まって欲しいものです。ただ、あまり多いと飽きが来るのでせめて
ひとつの街に2,3件がいいとこじゃないでしょうか。

 わたしは短大の頃に習い事をやるためにその費用を捻出するためアルバイトを
やることになりましてそれがコンビニエンスストアのアルバイトでした。
 わたしの体験談とともにコンビニの裏話でもしようかと思います。


 バイトを始めたのは短大1年生の春でなんせ3ヶ月で40,000円近くかかるんで
そのために時給のいいところを探していて(当時最低賃金が1時間で490円)そのとき
の条件というのが1繁華街に近い。(私の住むところは賃金が安いところが大半。)
2.時給が最低600円。3.できれば楽なところ(ヲイ)
アル北を見ていると

!!発見。
 早速電話をして、面接。無事採用とあいなりました。
ちなみに1の条件。場所は夜の繁華街と公園の間。
2については時給650円(当時はかなり好条件)条件ク
リア。3に関しては未知数。でもなんとかやれそう。
 始めはやはり学校があるので夜の時間帯。基本的には接客や商品出し、拭き掃除が
仕事でした。最初はレジ打ちが楽しかったのですがやはり掃除が一番つらかった。
なかなかレジ打ちとかやらせてもらえなくてね。大変だったな。その当時は掃除=裏方という
イメージがあったのでショックが大きかった。
 人間関係に関しては仲のいい人が出来、好きな人もでき(振られたけど)店長も奥さんも
いい人達で弁当とかご馳走してくれたしいろいろありました。
 私が学校を卒業するとき、就職も決まってない(仕事が決まったら辞める予定だった)私を
「朝の時間にでも入っていいよ」とやさしく言ってくれた店長に本当に頭が上がりませんでした。


 その後の話を書こうと思ったけどその前にマニュアルみたいなもの。
コンビニにはお店によってやりかたがあり、大手は完全にマニュアルが定まっているけど、
バイトしていたところは半分くらいが個人経営みたいなものだからお店によって違うところも
あります。(でも本部からマニュアルは送られているのですが)
 制服は洋服の上にエプロン。んでネームプレートをつけます。後半ではポロシャツと
トレーナーが貸し出されてそれ着ていました。
 金曜日に来たときはまずビデオを見ます。そのときに新製品と廃止商品。そのあとに
販促などのマニュアルなど正味10分くらい。んでパートナー情報なる物を見てあとは
指示どうりにそれを行うって寸法です。
 バイトは最初に週2回の夜18時から22時、んで週3回に増えてしばらくやってました。
日曜日も出てきてお昼12時から17時。卒業してから朝9時から12時半で週4回、昼に移って
12時半から17時まで会社に就職するまでやりました。
 ということで後半戦。

 朝は出勤してから朝のラッシュの冷蔵庫の商品補充、あと店頭の商品補充、朝の荷物の
品物陳列と床掃除。11時半からは戦闘体制。だって回りは会社やお店の人達でイパーイやって
来るんだもん。さらに同時に昼の商品の追加。もう死にそうでした。さばいてもさばいてもお客の波。
そしてたまにお湯を入れてという人もいて(ポットがレジ側にあったため)くそ忙しいのにと思い
つつもこなす。
 やがて波が納まろうというときに仕事終了。昼の人へとバトンタッチ。

 と、やってきたのですがある日突然店長が店を本部直轄にするといってきました。
店長いい人なのになんで????と思いながらも理由を聞いてみると、もう店長は年で
奥さんも他の仕事(大家さんも兼任)を抱えて体力的にも限界とのことでした。
そして私は昼の時間に移ることになりました。

 昼の仕事は、昼ラッシュの引き続きの処理、午後からやってくる荷物の検品、整理、その間
にも接客や掃除などをこなさなければならず一番ハードな時間帯でもあります。夜前には
商品がまたくるのでその検品と陳列。そして夜の人へと引き継ぎます。

 本題に戻る。それでいざ本部がやってくるとかなり細かいところにまで口をはさみ、時々様子を
見にきていた奥さんまでこないで欲しいと言うし、しかも時給も上がらなくなり、これはもう
早く就職を決めて辞めるしかないと考えるようになってきました。

 接客のしかたとして一般的なのは「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」は基本。
最近ではいらっしゃいませのあとに「こんにちわ」などの挨拶を取り入れているところも増えて
います。でも、「いらっしゃいませこんにちわ」などいかにもマニュアルです、といわんばかりの
あいさつなので、これってどうよ???なんか感情はいってないように思えるんですけど。
私のときは「いらっしゃいませ(少しの間)こんにちわ」と言ってました。
これは誰に教えられるまでもなく自分からすすんで行っていたことです。あとよく来店してくれている
客には話し掛けたりしたりで自分なりに接客を工夫してました。何事にも向上心が大事です。

 本線に戻る。もうすでに時給も上がらず店長も3ヶ月で1回替わるという状態で店の方針も
あってないようなものです。一緒に働いていた昼の人とか夜で一緒だった古株の人とかと一緒に
愚痴ったりしたりで気づけばもう話をする人とかも少なくなり自分が先輩格になってしまいました。
 
 そんな事で年も明けて、就職試験を受けていたところから電話が入って、採用になったことを聞き、
急なことでありますがコンビニを辞めることになりました。ほっとしました。結局、通算4年近く

バイトしてました。

 だけどコンビニでバイトしていて良い経験をさせてもらいました。気づいたこともありました。

仕事に楽なものはありません。苦労して頑張って結果を出す。これが仕事だと思う。

 あれから何回か以前のバイト先の前を通ったりしますが、夜の時間帯は殆ど男性
陣がやってる 様子です。変わったよな・・・。




稲垣事件について。


なにかと最近、芸能人の不祥事が多いのですがここにきてまた事件がおきてしまったので
本当にどうなの?と考えてしまう。
今回はSMAPの稲垣吾郎が道路交通法違反で捕まったことについて私なりの考えを
書きたいと思います。




ことの発端は駐車違反の取締りを無視してそれで車をあわてて発進させて女性警官に軽い怪我を
させてしまい、駐車違反と女性警官の命令を無視して怪我を負わせた現行犯で逮捕された、と
いうことです。




これが普通の芸能人だったら芸能のコーナーなどで取り上げられるだけなのですが、
SMAPというビッグアイドルのひとりが起こした事件なので当然スポーツ新聞のトップで
取り上げられ、おそらく週明けにもワイドショーのトップ項目に取り上げられて当然の内容です。
実際、日刊紙の夕刊(日刊ゲンダイなど)にも「芸能生活の危機」とまで書かれてしまっているのですから。





わたしももしこれがキムタクとか中居さんなど他のメンバーならもっと違う対応だったかも知れません。
(SMAPのメンバーが、って思っただけなど)でもやったのが稲垣吾郎という人であり私と同い年の
人間がやったことなので少し人事と思えないような気がしたので少し心配になってきて。

やったことは確かに私が内容を見る限りいけないことでましてや現行犯、というところでそういう事実
は否定はできない。だけど、稲垣さん本人は「(SMAPの稲垣吾郎と)気づかれたので。」と話を
していて、「申し訳ないことをした。」と反省をしているとコメントもありました。
一部スポーツ紙には脱退とか書かれているようです。過去に未成年だったジャニーズのJrが喫煙で
解雇という話もあった事実としてあります。
でも、解雇とかは少し行き過ぎかなと。
やったことは悪質かもしれない。前科は残るかもしれない。だけど、本人がきちんと反省して自分の言葉
で釈明を行えばファンも世間も理解してくれると思う。だって事件が起こったことに関してメンバーも嘘
だろう?と信じられなかったようですから。


きちんと罪をつぐなって1日も早い芸能界の復帰を願っています。




やればできる


 私がテレビでジャパンカップを見ていたときのことです。
丁度、優勝騎手インタビューでペリエ騎手が映っておりました。
 そのときはなんとも思ってなくて、あー、またペリエだぁ、
そんなふうに思ってました。
 アナウンサー「最後に一言お願いします。」
 ペリエ騎手「…(ここまで英語)ヤレバデキル」





そのたった一言。


確かにペリエ騎手はフランスの一流ジョッキーで、
短期免許で日本に来るたびに常にトップクラスの成績を残し、
重賞もとるなどしている騎手なのですが、ここまでになるのには
並大抵の努力、精進があったと思います。

そして自己鍛錬、あとは関係者、家族の支えなどが彼をここまでに上げたのだと。



そしてそのすべてが「ヤレバデキル」
この一言に集約されたのではないかなと。



自分を振り返ってみると、
できないから、やめた、とかけっこう飽きっぽいところとかもあるし、
何よりも努力が欠けている部分もあるような気もします。





「やればできる」
その一言は私にとって頑張ろうと思わせる言葉になりました。
頑張ろう、何事にも。




「もう辞めたんです。」




ここ数日間、政治の世界が一つのことで
混迷を極めている時におこった事を
象徴しているこの言葉。
民主党の大橋巨泉議員が辞職した時の
記者会見で彼が述べた言葉です。



ことの発端は、先日、アフガニスタンの復興を
支援するために行われた会議の中でNGOの出席拒否
問題で鈴木宗男議員が外務省を通じて圧力をかけた、と
言われているのを事務次官が言ったと言っている田中前外相と
言っていないとする事務次官との間の食い違いが国会の補正予算の
会議の場所で与党野党が口論となっている事項がきっかけで
議論が進んでいないとのこと。



そんなことで巨泉さんがブチ切れて辞職、という形。
記者会見で「総理!総理!」の辻元議員、田嶋議員などが
慰留に訪れ、横路元北海道知事からも携帯で連絡が入るなど
混乱する中、巨泉さんの一言。



「辞職するとの記者会見ではない。もう辞めたんです。」



その一言での記者会見。
まずは、
「本当は今日(1/28)辞めようとは思ってなかった。
辞めようと思ったのは予算委員会での出来事がきっかけ。
本当にこんなことをやっていていいのか?と思った。」



確かにあの言った言わないははっきりさせていれば
大事にはならなかったはず。
でも、所謂“官僚体質”が事を大きくさせてしまったので
結局、おおもめになってしまったのは否めない。



「首相がリーダーシップを発揮していればこんなことには
ならなかった。」




当の首相は「外務省に任せる」といって当初は
対岸の火事的にしか見ていなかったのが
まさかこんなに大きくなるとは思っていなかったので
重い腰をあげて結局は更迭という処置で真相は
うやむやになってしまいました。




NGOの人の記者会見でどう見たって
ムネオが関与したってのがバレバレなのに。
情けない。



その後、辞めた理由を挙げていたのですが、
まずは「政治不信」
それはマキコvsムネオvsノガミの言った言わない事件を
取り上げていました。



その次に「民主党への不満」を
挙げてました。


昨年の11月に自衛隊の有事派遣法案の
成立に対して民主党の考えに造反した1件が
あり、それは世間でも騒がれたほどでした。
ところが今年1月の民主党の党大会で
造反議員に対する処分などは一切語られることは
なかったそうで、

「嗚呼、あの自民党と同じか。そう考えたら
力が抜けてしまった。それ以降夜も眠れない。」




記者からの質問で

「なら何故、鳩山代表に不満を言わなかったのですか?」

それに対して。

「そういえば(代表とは)一度も膝をついて話し合ったことがなかった。
民主党に頼まれて立候補したのに何故、俺と話してくれと(代表に)
言わなければならないのか?」




だけど、それって違うと思うんです。
だって、本当に自分が民主党に対する不平不満があるならば
はっきり言うべきであるし、言って欲しかったと思う。
巨泉さんは文化人としてのプライドがあったから言えなかったのだと
思うのですが、巨泉さんだからこそ、はっきりと
「今の体質は自民党と同じだよ!」
と言わなければならなかった筈です。



巨泉さんが辞めたことでの街の声では

「辞めるなら何故出馬したの?」
「ふざけている」
「特に問題ではない」



福田官房長官でさえ、
「職場放棄」


などと冷ややかな声が多いのですが、
私は議員辞職は残念だと思います。
自らの持論でもっと政治に対して遠慮なく言える人だったのに
やはり、「旧体質に負けた」のでしょうか。
真紀子前大臣と共にとても残念です。



これで国民の政治離れが進むことは明白でしょう。
ただ、私は言いたい。
少し趣旨から離れますが、
私は皆さんご承知の通り仕事していません。
仕事を探している状態ですが、現在失業率が6%近くまででは
仕事にありつくのは時間が掛かります。
しかも今現状、企業側が優秀な人物を選べるという
企業側に優勢な状態です。
これを国が景気対策をしていないからという人もいますが、
私は違うと思う。
皆それぞれが技術を磨いて何処へ行っても恥ずかしくない
状態にすることが今一番必要かと思います。
そして、学生はより勉強すべきだと。
学校の授業を受けるのはとても当たり前だし、
図書館も折角あるのだから、テスト勉強のためだけでなく
もっと有効に読書するなりして活用すべきです。



そうすれば、きっと何が正しくて何が間違っているか。
自然と判ってくるはずです。




五輪に寄せて



長いようで短かったソルトレークシティ五輪でした。
ありきたりですが、17日間を戦い抜いた選手団の皆様には
本当にお疲れ様で御座いましたと言いたいくらいです。



思えば開会式ではブラジル選手の
「やっとオリンピックに出られた。」
との万感の思いの風景に出会い、
USAのアイスホッケーのドリームチームによる
聖火台への点灯がUSA国民の気持ちを紅潮させた
五輪スタートでした。





その中で自分なりに
ソルトレーク五輪というものを振り返って
見たいと思います。





「経験」



五輪が始まる前までは、
スピードスケートでは大管、武田選手、
フィギュアでは恩田選手がメダルへの
期待を寄せられていた選手でした。
実際ふたを開けてみると、
大管、武田選手、恩田選手は五輪に初めて出場する
プレッシャーからか力を思うように発揮できずに
メダルおろか入賞まで届きませんでした。
その中でベテランの清水選手が銀メダル、
岡崎選手の入賞、モーグルでは里谷選手が銅メダルと
五輪経験者が奮闘したと言ってもいいのでは
ないでしょうか。
次回のトリノ五輪に向けていい経験となったと
思われです。




「世界の壁」


スピードスケートは世界新記録が連発して、
ジャンプではヨーロッパ勢が大挙し、
フィギュアではUSAやロシアが相変わらず強い。
まさに世界の壁を見せ付けられた感じでした。
しかし、男子フィギュアの本田選手が4位入賞、
女子フィギュアでは村主選手が最終組まで1位をキープ。
複合では高橋大斗選手が次代のエースと呼ばれるまでの
大健闘を見せました。
世界の壁を破れる日も近づきつつあります。




「地の利」


ソルトレークはUSAが開催国であり、
その大声援はすさまじいものがありました。
「USA! USA!」
コールは何処へ行っても鳴り響いておりました。
そのおかげかUSAが獲得した合計メダル数は
過去最多の34個とのこと。
実際問題、日本では98年の長野でも
10個のメダルを獲得しています。
やりなれたコース、やりなれた土地で
レースを行える強みがあったのでは。



「疑」


まさに今回の五輪を象徴するものでしょう。
はじまりはフィギュアのペアでの
ロシアとカナダペアの判定疑惑が発端でした。
スノーボードの日本選手の明らかにおかしい判定、
何よりも憤りを覚えたのはショートトラックの
男子1000mの準決勝での寺尾選手のどう考えても
どう見たって妨害はしていないのに失格にした
1件です。
はっきり言って私はテレビで見ていましたよ。
絶対押していない、絶対に触れてなんかは
していない! 絶対におかしいって!!!
何度もテレビに向って激怒したことか。
あの後の1500mでもバランスを崩して転倒したのに
カナダ選手の邪魔をしたということで失格。
ものすごく踏んだり蹴ったりだと思いました。
最後の500mの準決勝でまたコースアウトしたときは
「本当についていない。可哀想。」
と思いました。
でも、
最後に神様が見方してくれたのか、オーノが(USA)
寺尾の邪魔をして失格になり、決勝に出場できた時、
思わず歓喜してしまいました。
結果は5位でしたが、寺尾選手の涙がすべての出来事を
象徴していたかの様でした。
連続して失格になってものすごく悔しいだろうけれど、
気丈にインタビューに答え、
「審判の判断なので仕方ありません。次頑張ります。」
と言い切った寺尾選手。次のトリノでは30歳と
ベテランになっているけれど、是非頑張って欲しいです。







「四年間」。
それだけの思いをすべて競技で発揮できた人、
自らの力を出し切れなかった人。
様々な人々がいるけれども
様々な国の人がいるけれど、
全ての柵を取り払ってすべて平等なフィールドに立って
スポーツという中での交流。それが五輪だと思う。




天気予報。


天気予報。

それは日々の暮しにとってあるときは
お出かけ時の目安にしたり、
季節の移ろいを感じたりと
身近な存在だったりします。



私と天気予報との付き合いは
もう遠い昔になります。



幼少の頃、私は九州地方に住んでおり、
55分ごろにはいつも天気予報がテレビで流れている
そんな家庭で育ってました。
九州では南は石垣島から始まり、五島列島、壱岐対馬、
締めは四国に飛び、愛媛県で終っていた天気予報。
注意報ではそれだけにとどまらずに、
「乾燥注意報、豊後水道」
それを聞いて、
豊後水道ってどんなところだろうと
あれこれ想像したものでした。



当時としては天気予報は予想天気図や注意報、
天気予報くらいしかない簡素な物でして、
本当に「予報ですよー。」そのものです。
それを参考にして、運動会や遠足の前日には
照る照る坊主をつるして
「あーした天気になぁれ!」
そうおてんとさんに願ったことが記憶に残っています。



6月の梅雨の時期には
長雨を憂いて空を仰ぎうらめしく思い、
梅雨が明けると夏休みのカンカン照りの空の下、
屋外プールで毎日のように泳ぎまくり、
8月には海へとキャンプ…。
本当に天気予報は参考程度にしかならなかったあの頃です。




それから時が流れ、
国家資格に
「気象予報士ができた」
というニュースが流れ、新しい物に飛びつく
性質のある私が飛びつかない訳がなく、
「気象予報士になるために」資格本を購入して
勉強をしようと意気込んではじめたはいいけれど、
元々理数系が不得手な私にとっては結局、
挫折にいたってしまったことは言うまでもありません。






今日日の天気予報といえば、
3時間ごとの時系列の天気予報が地方ごとに
出てきて、降水確率、波の高さ、週間天気予報は
当たり前、あれやこれやと天気に関する企画など
「天気予報」は一種のエンターテイメントとなって
来ていて、予定も週刊予報で立てやすくなっているのも
事実です。



だけども。
晴れたときには燦燦と降り注ぐ太陽に生命を感じ、
曇りにはどんよりとした気持になり、
雨の日は外には出られないけれど、雨上がりの爽やかさを
思い浮かべながら待つ…。
自然の息吹を感じることだけは忘れたくはない。
そう思います。




後藤騎手に寄せる。

「良かったことも辛かったことも浮かんできた」


安田記念の優勝インタビューでの第一声でした。
長かったGT初勝利までの道のり、
これを思うと本当に良かったと思う私です。



後藤騎手をはじめて知ったのが
競馬を始めてちょっと経った
93年ごろのことで、当時は伊藤正厩舎に
所属していて、成績も今ひとつの位置だったこと。
でもその目は確かに前向きであるということ。
年代も近いことから、密かに気にかけていました。



なかなか騎乗機会にも恵まれない中、1994年の福島記念。

シルクグレイッシュで初めて重賞を獲った時、
私は自分も同じように喜んでいました。
本来ならば別の騎手が乗る予定がケガで後藤騎手に
回ってきた、そのチャンスを見事に生かしての勝利かと。

だけど、シルクグレイッシュは骨折して、
「もっと乗り方を考えろ」
と注意を受けたレースでもありました。
でも、

「初めての重賞勝ちで嬉しい」


その一言はとても印象深いものだと思います。




重賞を獲ったとはいえ、相変わらず
騎乗機会にも恵まれずに、所属もフリーとなり、
状況も厳しい中、97年にアメリカへ単身武者修行に
出発することを決意したことをスポーツ紙で知った時、
ずいぶん思い切ったなと、思いました。


慣れない土地で会話も出来ない中、確実に後藤騎手は
自らの運命を切り開いていった、そして帰国後には
ついにリーディングのベスト10に名前を連ねるまでになり、
成績もどんどん伸びていきました。

だけど、1999年の8月19日。


「後藤騎手、吉田騎手を木刀で殴打」


スポーツ紙でこの記事を見たとき、とても信じられませんでした。


うそでしょう。


だけど、この事件は大きな波紋を呼び、
後藤が悪いとか吉田にも原因がある、
さまざまな意見が飛び交っていて、
結果、後藤騎手の長期間の騎乗停止という
重い処分が下され、後藤騎手も、
「迷惑をかけて申し訳ありません。」
と頭を丸めておわびをしていました。



でも、私思うのです。
今は先生が生徒に手を上げるだけでも
「体罰だ」といわれる時代ですが、
昔はやはり間違ったことをしたら
しつけの意味で手を上げるということは
当たり前のことであって、今はそういう意味では
世間が過敏になりすぎている世の中で、
その中で起こった事件だということだと。
そういう意味で後藤騎手は巻き込まれてしまったと
ちょっとかわいそうな気持がするのです。
確かに大人気ないところもある気持もするけれど、
やったことは間違ってはいないと。


いろんな道のりはあったけれど、
ようやくGTジョッキーの仲間入りをした
後藤騎手。
復活したアドマイヤコジーンの背の上で
いろいろな思いをかみ締めて、こみ上げるものを
感じました。そして、彼が嬉涙を流した時、
私も一緒に泣きました。



「今まで期待に添えなくてすいません。
これからも後藤浩輝を宜しくお願いします!!」




あんた、男だよ。
最高!!




モノより思い出。〜子供論。


最近なんだか私の中で
「子供」というものがクローズアップ
されてきてまして、まぁ、子供を取り巻く環境が
いろいろ変わってきていることもありまして、
まだ未婚ではありますが思っていることを
書いてみます。



まずは身の回り。


最近の子供を見ていると、
衣装がまー、大人と遜色の無い
格好だったりへたすりゃ中高生と
同じだったり、子供用のメイク道具が
続々出ていたり「小学6年生」とか
堂々とメイクの特集やったりで
なんだかファッション雑誌のような
中味になってしまったかなーと。

ひどい場合には親が子供に茶髪に
したりしているのよ。
しかも、4、5歳の子供によ。




遊び道具とかも変わったわー。


私が小さいころとかは遊び道具といえば
リカちゃん人形とか塗り絵とかチェーリング
くらいしかなくて、あとは外で遊んだり
したものでした。
しかし、今となってはファミコンが普及してから
というと、プレイステーションとか
ゲームボーイが出始めて、子供はテレビゲームで
遊ぶようになっちゃったもんな。

おもちゃもいろいろ種類が増えて、
カード収集もそのひとつでカードが
ないと友達との話題についていけないなど
コミュニケーションツールと化している
現状です。



そして何よりも、学校の
「週休2日制度」。



子供にゆとりの教育を、との
モットーでこの制度を作成した
らしいですけれど、
私はこの制度はどうかなー、と思います。



だってね、今の日本を作ったのは
御先祖さんたちでしょ?
勤勉実直の精神でやってきたから
日本の商品製品が高性能だって
言われているんでしょ?



それを週休2日にしちゃったらさ
学校で受ける勉強の時間が
思い切り少なくなって余計、
詰め込みになってしまう
ような気がするんですけれど。
あと、休みの土曜日に学校での勉強が
足りないから塾に行っている現状から
考えたらものすごく無意味な気がするんですけれど。


それに親御さんたちは週休2日制に
なってから食事とか勉強のこととかで
結構大変だって言っている事情も
あるんですよ。




教科書もどんどん薄くなってきてしまって
本当に子供のためになってるのかなぁと
思うこの頃です。
もう一回考え直した方がいいと思うんですが。




私が実践してみたい子育て。


・まず、赤ちゃんのおむつはなるべく 布オムツにする。


布オムツのほうが頭のいい子に育つらしいそうです。


・小さいうちは踵のしっかりしたひも結びのできる靴をはかせる。

赤ちゃんの靴はいいものを購入したほうがしっかりした足に
育つそうです。


・絶対に茶髪にしない


子供に自分の趣味を押し付けない


・おやつは手作り


「おやつ=母親の手作り」そういう環境が大事です。
それに3歳まででその子の味覚が樹立されるそうです。





…幾つ実践できるか。それに果たして
実践できる環境がやってくるか?(´-T)




原爆と住基ネットと法案と


8月6日と9日は広島、長崎の原爆慰霊忌ということで
それぞれ記念式典が開かれていました。
その中で市長が平和宣言を行うのですが、
毎年毎年、被爆地ならではの平和へのメッセージを
放っています。



例年だと被爆者へ対する補償や法整備などを
訴えている市長の平和宣言。
でも今年は、





「アメリカのブッシュ大統領は一度、広島や長崎を訪れて欲しい。」
(秋葉広島市長)

「アメリカはテロを言い訳に核兵器を使おうとするな!」
(伊藤長崎市長)




と、昨年に起こったアメリカ同時多発テロに対する報復攻撃を
諌める中味となり、少し様変わりを見せていました。





一方、首相の宣言はというと、
毎度のことですが口先だけの宣言が多いの
ですが、今年も例に漏れずに聞き飽きた台詞ばかり。





おまけに被爆者の対話集会にも
代役で厚生大臣を立てるなど
やっぱりな、という印象も否めません。




私が小学校の頃、長い夏休み期間中に1度、
8月6日に登校日が設けられており、
その中で原爆に関する映画を見て
原爆に対する教育を受けてました。
低学年では「ヒロシマのうた」、中学年では「はだしのゲン」、
引っ越した先の学校では「にんげんをかえせ」を
鑑賞し、原爆や戦争はやってはいけないものだ、
というのを深く心に刻み付けたものです。




最近では8月6日の登校日をなくした学校も出てきている
とのニュースを見て、なにを考えているのかと
ちょっと疑わしくなりました。




日本は50年前に戦争という苦い経験をしていて
原爆投下はその「戦争」という大きな代償という
位置付けでしかも中国や韓国を傷つけたことも
あるので、このことは後世に残さなければ
学ばなければならない出来事なのに、なぜ?
と思います。





これも教育制度が変わって
「ゆとり」どころじゃなくなっているのかな、
とも考えちゃう。
このことも含めて教育全体を
見直さねばならないんじゃんないかな、と。






話題変わって、8月から開始された
住民基本台帳ネットワーク、いわゆる
「住基ネット」。 国民全員に11桁の番号をつけて
手続きなどの簡略化とか
電子政府がどうのこうのとか
かなりのメリット面を打ち出しているようです。



片山大臣も、

「個人情報の漏洩とかは心配ない。」

とおっしゃっているようです。




でも、 無線LANを使って自治体のパソコンに
侵入が充分可能らしいという
調査結果が雑誌とかで明らかになったり、
法整備などが不十分だったりで
脱退する自治体が出ているのも実情です。





その、法整備のもととなる
個人情報保護法案は、
法律の中味が場合によっては
個人の知る権利を奪いかねない中味で
マスコミなどは反対していたり、
様々な所でいろいろ言われたりで
まだまだ不十分のようです。




だけど、最も重要なのは
政治家や国にとってかなり有利な法案で
あることで、もしも成立すれば
汚職とかワイロとか隠せたりするので
また元の木阿弥になる可能性が大なのです。





又、個人情報保護法案と同様、
有事法案も審議されてます。
表向きはアメリカの同時多発テロを受けて
日本も同じ事が起こりかねないとの
ことで成立を目指している法案です。





ですが、中味は充分審議されず、
しかも、法律の中味に関しては
有事になったら報道にも制限ありで、
私有地も場合によっては国に差し出さねば
ならなくなることもありうるのです。





確かに。


自分の国に何かがあったときに
国を守らなければならないのは
わからないわけではないのです。





でも、法律の中味は明らかに
昭和の戦争の時期と似ているので
下手すると大政翼賛会の再現、
そういうこともありうるやも知れません。





よくよく考えてみると。 小泉首相のお父様は確か防衛庁長官を 歴任されて、問題発言で退かれているみたいね。




原爆と住基ネットとゆとり教育。
いったん関係なさそうに見える
この3つですが、問題の先を辿っていくと
ひとつの道に到達しているような気がします。




このままだと同じあやまちを繰り返そうと
しているのは確実になりそう。
でも、このままでいいの?
誰かがはっきりと警鐘を鳴らさなければ。